須藤崇規(s)
「私の考えるダンス」 岩下 徹

「私の考えるダンス」  

 私のダンスは即興です。あらかじめ振付けられた動きををできるだけ忠実に再現しようとするのではなく、<いま、ここ>、この瞬間、本当に感じられる感覚に、そこに生じる動きの衝動にできるかぎり誠実であろうとする「行為(アクト) 」なのです。ここではすべてが生成変化の過程(プロセス)であり、完成することがありません。したがって事前に決められたテーマもストーリーもないのです。身体(からだ) を使って表すことではなく、身体そのものに表れる何か。~を表現するという他動詞的な在り方ではなく、~が表出するという自動詞的な在り方によって。身体を何かを表す為の手段として用いるのではなく、身体そのものから発する声に素直に耳を傾けること。観客もダンスに具体的な意味を見いだすことよりも、むしろ意味に囚われないで、ただただ五感を全開していただければと思います。意味を考えることよりも、まず、感じることが大切です。そうすればやがて私と観客ひとりひとりとの間に、いくつもの無言の会話が生まれてくることでしょう。実際には観客は身体を動かすことはほとんどないと思いますが、それでも私は観客とその場を共有し、一緒に踊っているのだと思います(ごく稀に本当に踊りだす方もいらっしゃいますが)。

  私はダンスに、日常から完全に切り離された異次元に旅することや、現実から限りなく逃避して彼岸に超越しようとすることを望みません。むしろそれをできるだけ日常に、現実に近いところで成立させたいのです。ですからこの場に美しい幻想(イリュージョン)を視ることはほとんどないと思います。幻影を脱ぎ捨て自らを白日の下に晒すこと。観客の前に身ひとつで立つこと。これ以上でもこれ以下でもない等身大(ライフサイズ)の身体で。これが私の考えるダンスです。ここでは本当にその時の自分の状態にぴたっとあったものしか届きません。本当のものでなくてはしっかりと他者に伝わらないのです。誤魔化しはききません。即興とはけっして恣意的で放縦なものではなく、いかなる時においてもその動きや形の裏付け(バックグラウンド)が厳密にあるべきです。良くも悪くも常に自己に忠実たれ!そうでなければ観客とつながることができません。自己を他者にむけて開こうとすることには、少なからず苦痛を伴いますし、誤解や反発を招いてしまうことすらあります。しかしそれでも私はそうせざるをえないのです。何故なら、踊っているからこそようやく世界からこぼれ落ちずにいられるからです。踊ることによってのみかろうじて世界とつながれるからです。

  かつて私は、この168.9cmの身体の他に何ひとつ残されていない、ということを思い知らされました。その時はじめて、自分の身体に気づかされたのです。その温かさと柔らかさを感じ、それを愛しく思いました。そこが私の原点です。そこから、世界の果ての「私」という小さな自我(エゴ)の暗がりから、明るく開かれた「外」の世界へ出て行きたいと思いました。そして声にならない叫びのようなものを発し、ただ不器用に動きはじめることから、私のダンスが始まったのです。<交感>としての即興をめざして。                                      岩下 徹

写真/須藤崇規