金沢
「生まれたことが即興ならば」

生まれたことが即興ならば、生きることもまた即興でしょう。では何故その上、表現としての即興を望むのでしょうか?それは、何よりも〈交感〉を求めているからです。即興という行為のなかでこそ、私達はそれぞれまったく対等に自己を解き放ち、交流し得る瞬間を迎えます。それはまさに、偶然と必然との至福の邂逅。

ただし、その実現は非常に困難であり、不発に終わることも度々です。飢えるほどにコミュニケイションを欲するが故に、ディスコミュニケイションを来すのでしょう。しかし(だからこそ!)、さらに〈交感〉を求めて止まないのです。私達は不自由で閉ざされているからこそ、自我(エゴ)の壁を越えて行きたいのです。「私は私」という同語反復を逃れて。 岩下 徹